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A.1976年の1976年の防衛省による日本の航空兵力(機数)は470機。
防衛省のデータによると、1976年における日本の航空兵力(機数)は470機です。この数値は、当時の日本が保有していた航空兵力の具体的な機数を示しています。
出典: 防衛省『令和6年版 防衛白書(前編)』2024年7月公表
1976年の防衛省による日本の航空兵力(機数)
470機
日本の航空兵力(機数)
わが国周辺における主な兵力の状況(概数)(1976年度) [凡例] 陸上兵力 海上兵力 航空兵力 (万人) (万トン) (機) 中国 300 41 5,000 極東ソ連 30以上 125 2,000 北朝鮮 43 5.3 600 韓国 54(2) 8.2 200 在韓米軍 4 60 台湾 35.9 (2.9) 18 270 在台米軍 0.2 日本 15.5 16.7 470 在日米軍 4.6(2) 200 米第7艦隊 60 150 (注)1 昭和52年版防衛白書をもとに作成。 2 各国駐留米軍兵員数は、陸・海・空各要員の総数を示す。 3 ( )は海兵隊の兵力で内数。 4 日本は、実勢力を示す。 5 ----- は、1976年の日本の実勢力の水準を示す。 ~基盤的防衛力構想の時代、国際貢献の時代~ 1989年 冷戦終結宣言 1990年 東西ドイツ統一 1989年には東西冷戦の象徴的存在であったベルリンの壁が崩壊 【EPA=時事】 宗教上の対立や、民族問題に根差す対立が顕在化 1990年 イラク軍がクウェートに侵攻 多国籍軍はイラクの侵略を排除し、湾岸地域の平和と安全を確保するため武力行使に踏み切り、湾岸戦争が開始された。【AFP=時事】 1991年 ワルシャワ条約機構が軍事機構解体 1991年 ユーゴスラビア内戦勃発 1976年 ミグ25が函館空港に強行着陸 函館空港にソ連軍用機が強行着陸。レーダーサイトにおける低空侵入対処の問題や早期警戒監視機能の欠落などが課題とされ、早期警戒機の導入、連絡体制整備などにつながった。 1979年 ソ連がアフガニスタン侵攻 1983年 ソ連軍機による大韓航空機撃墜 1987年 米ソ間で中距離核戦力全廃(INF)条約署名 冷戦の終結 1983年 対米武器技術供与決定 米国に対する武器技術の供与に限っては、武器輸出三原則などを例外化する官房長官談話を発表 1987年 いわゆる防衛費GNP1%枠の撤廃 「GNPの1%をめどとする」を適用しない(注1)ものの、節度ある防衛力の整備を行うという精神は、引き続きこれを尊重する(注2)とされた。 (注)1 「昭和62年度予算における「当面の防衛力整備について(昭和61年11月5日閣議決定)」の取扱いについて」(昭和61年12月30日安全保障会議及び閣議決定) 2 「今後の防衛力整備について」(昭和62年1月24日安全保障会議及び閣議決定) 1976年 防衛計画の大綱策定(51大綱) わが国の防衛のあり方について政府の考えをできる限り具体的に明示し、国民的合意の確立を目指すものとして策定 1976年 いわゆる防衛費GNP1%枠の決定 「当面の防衛力整備について」(昭和51年11月5日閣議決定)において、当面、各年度の防衛関係経費の総額が当該年度の国民総生産の100分の1に相当する額を超えないことをめどとすることを決定 1977年 1978年 1979年 1980年 1981年 1982年 1983年 1984年 1985年 1986年 1987年 1988年 防衛分野における米国との技術の相互交流を図ることが、日米安全保障体制の効果的な運用を確保するうえで極めて重要になっていることを考慮 湾岸戦争終結における海自によるペルシャ湾での機雷除去 ・「基盤的防衛力構想」 ・わが国に対する軍事的脅威に直接対抗するよりも、自らが力の空白となってわが国周辺地域における不安定要因とならないよう、独立国としての必要最小限の基盤的な防衛力を保有 日米同盟 日米防衛協力小委員会設置(1976年) 日米防衛協力のための指針(ガイドライン)が閣議で了承(1978年) ・日本防衛のための共同作戦計画の研究、共同演習や共同訓練の実施を規定 ・日本有事の際の日米の役割を規定 米海軍主催の環太平洋米海軍特別演習「リムパック」に初めて参加し、米空母の横を航行する護衛艦「ひえい」(1980年) 3 令和6年版 防衛白書